よこしまな日記

凡人なりに楽しい毎日

すべすべは作れる

ここ最近、手の乾燥がひどい。

前も冬になるとカサカサしてハンドクリームが欠かせなかったけれど、去年くらいから潤っていた試しがない。赤ちゃんのお世話やウイルス予防でこまめに手を洗う習慣がついてきたせいもあると思うが、何よりも加齢が大きな原因だと思う。

指先は常に潤い不足で、ささくれもひどい。爪も乾燥しているせいか割れやすくなってきた。手が乾燥してると一気に老けて見えるって知ってた?自分の手を見て、歳をとったなあと感じる。私の祖母のしわしわの手は、しわしわなのにすべすべしていて触り心地がいいのに、私の手はカサカサしていてなんだか痛々しい。

おばあちゃんの手になるまで一気に老けてしまえればいいのに、老化というのはそんなに上手くはいかないようだ。じわじわと、気づかないうちに、でも確実に変わっていく。

お皿を洗って、洗濯物を干して、料理をして、赤ちゃんのおむつを変えて。日常のいろんなシーンで手を洗い、そのうち面倒になってハンドクリームをサボりだして。そういう日々を送っていると、気がついた時にはカサカサおてての出来上がり。

赤ちゃんに保湿剤を塗ろうと自分の手に塗り広げると、どんどん吸収されてしまう。指先がカサカサすぎてブランケットが引っかかる。赤ちゃんの水分をたっぷり含んだすべすべのお肌が羨ましい…

とはいえ、赤ちゃんのすべすべお肌だって保湿の賜物なのだ。うちの赤ちゃんは乾燥肌で、保湿を怠るとすぐに湿疹ができたりカサついてしまう。朝のお着替えの時と、夜のお風呂上がり。1日2回の保湿を欠かさずに行っているからこそのすべすべ。もちろんお肌のポテンシャルは私とは比べものにならないくらい高いけど、保湿しないと乾燥するという点では赤ちゃんも私も同じ。私が赤ちゃんの保湿を頑張っているからすべすべ肌でいられるんだ!すべすべは作れる!!

やっぱりハンドクリーム頑張って塗ろう…赤ちゃんでさえ保湿が大事なのに私がサボっていいわけないだろ…

許されたくはないのかもしれない

あの映像を初めて見たとき、私はロンドンにいた。

当時春休み中の大学生だった私は、友達と旅行に来ていた。安ホテルの食堂で硬めのパンとジャムだけの簡単な朝ごはんを食べていると、視界の隅であの映像がテレビで流れだした。

映画の映像だと思い真剣には見なかった。おそらくJAPANとかTOHOKUの文字が画面にはあったはずだが、それにも気づかないくらい見ていなかった。あまりにもリアリティがなさすぎて、ニュース番組だと思わなかった。私たちはそのまま朝食を済ませ、ホテルを出た。

何かが起こったらしいと気づき始めたのは、1日中観光してそろそろホテルに戻ろうかという頃だった。駅ですれ違った現地の人から「日本人?本当にお気の毒に。」と言われたのだ。私たちは新聞を手に入れ、そこでようやく、状況を知った。

今であれば、スマホで情報を集めたり連絡が取れたりするだろうが、当時はそういった手段を全く持っていなかった。ホテルに戻り、ロビーに1台だけ置かれた古いパソコンで検索して、私たちの地元には被害はなさそうだということが分かった。それも「多分大丈夫なんだろう」という程度で直接家族や友人に連絡がとれたわけではなかった。メールを送信しておき、次の日にまたメールをチェックしてやっと家族の無事を確認できた。

私は何も失わなかった。家族も友人も、住む場所も学校も。旅行から帰ればそれまでと変わらない日常を過ごすことができた。そしてそのことに、どこかで罪悪感のようなものを感じている。

何も失っていないことに。

何も行動しなかったことに。

それなのに、あの映像を「見るのが辛い」と感じてしまうことに。

あれから10年。消化できない感情が今も心の中で燻り続けている。

おしゃべりは下手 だけど好き

私は話すのが下手くそだ。

しゃべってるうちに何を言いたかったのか分からなくなり、ダラダラとしゃべり続けた挙句オチもなく突然終わる、みたいな聞いている方からしたら時間の無駄としか言いようのない話し方をする。

自分では面白いエピソードを共有したくてしゃべっているのだが、どうにも起承転結とか論理的な構成とかが抜けてしまい、「こいつ何言ってんだ…?」状態に陥ってしまう。

みんななんでそんな上手に話せるの??めちゃくちゃ面白いんだけど。

ブログだって、話の構成も何も考えずにいきなり書き始めるからいつも話があっちこっちしてしまい大変読みづらい。大体のテーマだけ決めて見切り発車してしまい、後から読んでこれはひどいなとなることも多い。(大概は面倒でそのまま投稿してしまう。読んでくださってるあなた、読みにくいでしょう。本当にお疲れ様です。お付き合いいただきありがとうございます。)

話が下手な原因のひとつに説明的すぎることがあると思う。

細かいところまで説明しようとして話が長くなり、分かりにくくなり、そしてつまらなくなってしまう。

もっと簡潔に、要点だけをすっきりと説明できたらいいのにと思うけれど、途中で質問されるのが嫌。全然話の本筋と関係ないところについての質問だったりすると、とても嫌。聞き手としたら話の本筋に関係あるかどうかなんて分からないから聞いているんだろうけど、話を遮られることにストレスを感じてしまう。結果、質問されないように説明的な話し方になってしまう。

あとなんでみんなそんな噛まずに話せるの?めちゃくちゃ噛むし言い間違えるんだけど。オチを考えながら話すと先にオチ言っちゃったりして全く面白くなくなっちゃうんだけど。

普段赤ちゃんと2人きりで過ごす時間が長いので、しゃべるのがどんどん下手になっていく。赤ちゃん言葉でも許される世の中になるといいな。バブー。

我が子の胃袋ブラックホール

我が家の赤ちゃんはよく食べる。

毎食後、食べ終わるとまだ食べている親の食事を指差して、自分も食べたいと要求する。赤ちゃんには味の濃いものだったり、すでに箸をつけてしまったりして分けてあげられないと、泣く。ものすごく泣く。普段は転んだ時や寝起きに少し泣くくらいで、比較的泣くことの少ない赤ちゃんだけど、こと食に関しては強い執着を持っていてよく感情を爆発させる。

量が足りないのかな?と少し増やしてもダメ。離乳食はそれぞれの月齢に合わせた適正量がある。もちろん、赤ちゃんによって食べる量に差はあるのであくまでも目安なのだけど、1歳から1歳6ヶ月ごろの目安量よりはるかに多い食事をパクパクと口に放り込む我が子を見ていると心配になってくる。

早食いの傾向があるので、満腹感が得にくいのかもしれない。食べ物の硬さを変えてみよう。

彩り豊かな食材を星形にくり抜いたり、目でも楽しめるようにしてみよう。

しっかり咀嚼ができるように、こまめに声かけをしてみよう。

全部やった。全然効果がなかった。

まあ食べないよりはいいかと諦めていたある日、Eテレの某幼児向け番組を見ていた赤ちゃんが、エンディングが流れ始めた瞬間「ふぇーん…」とぐずり始めたのを見て思った。

もしかしたら我が子は食事が足りないから泣いていたのではなく、食事が終わってしまうことが悲しくて泣いていたのでは…?

終わることを悲しいと感じられる感情の発達なのでは…?

なるほど。それならどれだけ追加で食べ物をあげても、食べ終わった瞬間に泣き出すのも理解できる。そうか、赤ちゃんの成長だったのか。すごいね〜〜さすが1歳児だね〜〜

そんな感慨に耽っていたのも束の間、今日の夕食後キッチンに1人で入って、赤ちゃん用のパンを探し当てむしゃむしゃと食べ始めたのでやっぱり足りてないみたいです。

花粉は今日も飛ぶ

今週のお題「花粉」

花粉は英語で pollen という。

花粉症は hay fever である。

その昔、英語のできない外大生だった私は、カナダ人の先生に自分が花粉症であることを伝えようとして

Flower powder is attacking me.

(花粉が私を攻撃しています。)

というルー大柴も真っ青なトンデモ英語を披露したことがある。伝わるでしょ?日本語話者なら分かってくれるよね?

先生は呆れた顔も見せずに、笑って花粉が英語で pollen であることを教えてくれた。優しい。ついでに先生は、くしゃみを連発する私に"sneezer”というあだ名までつけてくれた。そんな優しさはいらん。

私は花粉症を患っている。主に杉とヒノキの花粉にアレルギーがある。早ければ1月の終わり頃から、暖かくなるにつれて症状は重くなり、ぽかぽかと暖かい春の陽気を恨めしく思う日々を送る。

それでも今年は外出自粛でお出かけの機会が減り、人前で鼻を垂らすことも少なくなった。みんなが日常的にマスクをしているおかげで、マスクをしていても「花粉症?」と聞かれることもない。

植物は雨の日、花粉を飛ばさずに天気が良くなるまで溜め込んでいるという説を聞いたことがある。だから雨が降った次の日はより多くの花粉が飛ぶのだと。本当かどうかは知らないが私はその説を聞いたとき、花粉に対してめちゃくちゃ怒った。

溜め込んでんじゃね〜〜〜!!

ていうか、そんなに賢いんだったら人間なんかにくっついてないで目的地まで直行しなさいよ!君のゴールはここじゃない!!!

まあよく言われるように、雨で地面に落ちた花粉が雨が止んで舞い上がるっていうのが正しいんだろうな。諦めてアレグラ飲も。

もう乳児はいない

2月も中旬に差し掛かったころ、それは突然やってきた。

育児におけるビックイベント、卒乳である。

いつものようにお風呂に入り赤ちゃんの保湿をした後に、申し訳程度に自分の顔にも化粧水やら何やらを塗り込みリビングに戻る。歯磨きジェルをつけた歯ブラシで、赤ちゃんの小さな歯をささっと磨く。(本当はじっくり丁寧に磨きたいのだけど、全力で抵抗する赤ちゃんを抑えながらの作業は困難を極める。) 絵本を何冊か読んで出来るだけ興奮させないようにリラックスした状態を保ち、頃合いを見て寝室に連れていく。

いつもならこのタイミングで授乳をし、寝落ちしてしまった赤ちゃんをベッドに下ろしてフィニッシュ!自由時間の始まりだ!となるのだが、その日は何かが違った。何がと聞かれると困ってしまうのだけど、なんとなくとしか言い表せない母親の勘で、「今日は飲まなくても寝られそうだな。」と判断した。

ベッドに赤ちゃんを寝かせてみる。静かなものである。指をちゅぱちゅぱと吸いながらこちらをじっと見ている。部屋の明かりを消して、赤ちゃんの横に寝転がってみる。相変わらず赤ちゃんは指を吸いながら、私にくっついてくる。背中をぽんぽんと優しく叩きながらしばらく待っていると、赤ちゃんがうとうとし始めた。

「これは寝る。授乳なしで寝てくれる。」

こんなこと、生まれて1年と少しの間一度たりともなかった。寝かしつけは常に授乳とセットだったし、寝室に連れてくると早く飲ませろとばかりに私に近寄り、少しでも私が手間取ると遅いと泣いていた。こんなに静かな寝かしつけは初めてだった。

その日、赤ちゃんは本当に授乳なしで眠りについた。次の日も、その次の日も乳を欲しがることはなかった。

すでに寝る前の1回のみとなっていた授乳は完全になくなった。最後の授乳から1週間、私は卒乳を受け入れた。

生まれてから1日も欠かさず行ってきた授乳を止めるというのは、体への負担もそれなりにあった。それも1週間もすれば落ち着き、なんとなく感傷的になっていた私も今までと何ら変わりなく元気に過ごしている赤ちゃんを見て「まあこの子のタイミングだったんだろうな。」と受け入れることができた。

少し大きめで生まれた我が子は、生まれてからもしばらくぽっちゃりベビーだった。離乳食が始まる5か月目までは液体のみで成長するわけだけど、「本当にこの子完母(※完全母乳)か??」と思えるほどぷくぷくと大きくなった。今は運動量も増え、成長曲線ど真ん中の平均的な体型だけど、当時は「このままいくと肥満児になってしまう…」などと戦々恐々していた。

その成長が自分が生み出す母乳によるものだということが不思議で仕方なかった。ミルクと違って飲んでいる量も分からないし。赤ちゃんは「お腹いっぱい。」とか言わないし。

今はもう、ごはんをぱくぱくと食べて、もっとくれと指をさしている。
どうかそのまま、たくさん食べて、大きくなっておくれ。

 

一升餅の重さを量ったら二升分あった

お題「#この1年の変化

 

最後の記事を書いてからすでに173日が経過している。「三日坊主を回避できた」とかなんとか言っていたが、その後半年も放置していたら意味がなさすぎる。

 

yokoshima66.hatenablog.com

 

そうこうしているうちに赤ちゃんは1歳になり、乳児から幼児に変身を遂げた。もはや世間的には赤ちゃんではないのかもしれないが、私から見ればまだまだ可愛いスイートベイビーなので赤ちゃんと呼ぶ。よたよたと歩く後姿が堪らない。抱きしめて首筋の匂いを嗅いでいるととても落ち着くのだが、めちゃくちゃ迷惑そうな顔で押しのけられてしまう。ついこの間まではされるがままだったのに…

この1年、ウイルスの世界的な大流行により日常が大きく変わった人も多いと思う。でも私にとってはパンデミックが起こらなかったとしても変化の年になった。生活の中心が赤ちゃんになったから。

人間を産み育てるということは大変なことである。

特に1人目は、何も分からないという状況が非常に怖い。赤ちゃんはなぜ泣いているのか、ずっとぼんやりしているが退屈しないのか、なぜ眠たいのに寝ないのか…

そう、本当に寝なかった。
今でこそ添い寝で寝かしつければ朝までぐっすり、お昼寝もしっかりの我が子だが、ついこの前までは「絶対に抱っこじゃないと寝ないマン」だった。4キロ弱で生まれたヘビー級の我が子を素手で抱っこし続けるには限界があり、早々に抱っこひもを購入。そろそろお昼寝の時間かなというタイミングで抱っこひもで赤ちゃんを抱っこ、ゆらゆらと揺れながら部屋の中を徘徊すると…

泣く

なぜなの~~めちゃくちゃ眠そうな顔して泣くのはなぜなの~~~~
うとうとする度に頭を振って目を開ける姿に、何が何でも寝ないぞという強い意志を感じた。

コロナ関連でいうと、夫が在宅中心の勤務形態になった。これはコロナがもたらした唯一の功績だった。ぜひコロナ収束後も続いてほしいと願うばかり。

あとはもう、図書館や支援センターなどの公的機関はクローズしてるし、赤ちゃんを連れての帰省が一度もできていないし、旅行やお出かけが制限されるしといいことなし。コロナは早々に滅してくれ。

会いたい人に会えない、というのはその状況にならないと辛さが実感しにくいなと思う。会おうと思えばいつでも会える、と思っている時には会えなくなることなんて想像できない。コロナ云々は抜きにしても、こうしておけばよかった、と思うことをなくすなんてことはとても、とても難しい。

コロナが滅するのはまだしばらく後になりそうだし、せめて後悔のないようにいろいろと動いておきたいなあと思う次第。